化粧と読書 -対極にあるもの

 

最近は以前ほど騒がれませんが、電車内でお化粧をする女性に関してあれこれと議論がありましたね。

僕も何度か遭遇したことがありますが、その変貌ぶりには驚かされます。

向かいに座って化粧を始めた女性は、30分後にはまるで別人のよう。

プリクラでもこんなには盛れないんじゃないか、と驚くほど。

そう感じるほどのレベルで、彼女は外見の上書きをした。

 

 

しかし、ここで不思議なことはその中身は一切変化していないということ。

ひとつも。まるっきり。

夜の濃い闇に並ぶほどの深遠さを持ってブラックボックス化されたその中身を、僕が知ることはない。

コンビニで愛を買うくらいのお手軽さで、トリックをかます。

 

本の中にもこんな化粧みたいな、レッドブルみたいな性質のものはある。

その日をイキり生きるための知識、エネルギー。使い捨て。のんのん経済的。

あるにはあるけれども。

彼らとのおしゃべりの時間は、一度泥水を一滴でも入れてしまった泥ワインを再びワインと呼べるものに戻すことくらい虚しい。

泥は泥なのだ。

 

電車ですべき化粧は、読書に他ならない。

時代に捕らわれない、世の中の合理・不合理をちょんちょん突くような。

すてきな音楽や景色を感じさせてくれるような。

内から磨く、内からキレイに、ピカピカ心もクレンジング。

 

本を読むからいい、悪い、じゃないように思うようになって、じゃあなんだというと、本を読む人とでないと会話の呼吸がどうも合わない。

化粧どこいった。

関係ない。関係ない。