メメントモリー生きる力

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メメントモリはラテン語で、「死を想え」というような意味の言葉。

「いつか必ず死はやってくる。それを忘れるな。」

 

この言葉を思い起こすたび、僕は生きる力を取り戻す。

「死」は、「生」と反対のものでは全くなく、むしろ同一のもの。

「出会いは別れの始まり」というのと同じように。

 

 

目の前に、ドクロがあったとする。

そのオブジェから感じ取るメッセージは何だろう?

 

・魔術的な気配

・死んでしまえば誰だってみな同じ

・何か黒い空気

・魂の抜けたもの

・再生不可能なもの

・宗教

・消失

・このかつてヒトであったモノとは反対に、僕は生きている

・生まれ変わりの考え方を採用すれば、このドクロはかつての自分じゃないか?

ということ

・現実世界と死後の世界を結ぶモノ

 

最後に。

・こうしたことを感じ取る自分の感性の姿

 

 

こんなことを考えていると、再生不可能なモノに対する考え方が大きく変わってくる。

・1秒前までの過去

・放った言葉

・食べてしまったもの

 

これらは2度と返ってこない。

この再生不可能なモノを思う時間を持つからこそ、改めて大切にしようという気持ちが芽生える。

 

 

また、ドクロと対照的に自分は生きているということ。

このことからは、

 

・自分は死んでいない

・ヒトとして生きている

・大切なヒトと話ができる、触れ合える

・現実世界に干渉できる

・誰かを助けられる

 

こんなことを考える。

 

死んでからこの社会を眺めて、ああだこうだ言って批判したところで、そんな僕の言葉は現実を生きる誰にも響かず、仲間内で「そうだそうだ」と無意味な共感をして終わるだけだ。

(僕はこういうヒトたちをだから、死んだヒトだと思っている。)

 

 

目の前に置いたドクロは、生前どんなヒトだったかなんて知らない。

けれど、そんなことはお構いなしに、今生きているヒトに対して多くのことを教えてくれる。

これってすごいことだと思う。

生前の不良も、神父も、ドクロになれば普遍的なことを等しく教えるのだから。

(この「死ねばみな平等」というのはキリスト教的な世界観)

 

 

ドクロを眺めて、死を思うことから、今生きている様々なモノの価値を捉え直すことができる。

そうして僕は、今生きているこの命を燃やそう、大きく燃やそう、そして広く延焼させよう、放火魔になろう、と企んでいるのだ。

 

ドクロを、眺める飲み会を、やりたいな。