水面の月と写真

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水面の月と写真

 

秋の少し冷たい風の吹く夜。

鴨川に出かける。

 

月が出ていて、その姿が水面に映る。

宇宙にあるはずの月の、虚像がある。

鴨がやってきて、月の上に乗る。

いま、地球の月にいるのはウサギじゃなくて鴨だ。

一生懸命な鴨のばた足が月の虚像を壊す。

月は寛大だから、何も言わない。

 

 

この水面の月と、写真が同じに感じられた。

実体は遠く触れられない場所にいながら、その存在の断片は目の前にある。

掴めそうで、掴めない。

水面の月を鴨が壊しても、誰がちょっかいを出しても、実体は何も痛くない。

美しいものを壊そうとした虚しさだけ、向こうから送られてくるような気はする。

 

 

月と写真の違い

清少納言の見た月は美しく、また僕の見る月も美しい。

古典文学のような時代を問わない普遍性がある。

 

目の前にある写真の人は、1000年後も美しいだろうか。

人間は変わる。1日で変わる。

1日で美しくも醜くもなる。

 

でもどうか、1000年後も美しくあって欲しい。

そうしてまた1000年後も、地球から月を眺めて、こんなことを考えるのだ。