「私は私なんだよ」 と寂しげに話す彼女は

f:id:touzou:20180817002614j:plain



 

昨日書いたこちらの金閣寺ー三島由紀夫

 

 

www.tobiagattasakana.work

 

主人公が己の美の象徴を金閣に見ていることになぞらえて、僕にもそうした過去があったと書いた。

僕の場合は過去に好きになった女性にそれを見ていたのであって、それを有り体に書いた。

 

いま同棲している彼女は、僕のブログのいちばんの読み手であって、書き上がったものは真っ先に読んでスターをつけてくれる。

 

 

そんな大切にすべき読者のひとりである彼女は、読後こう寂しそうに話した。

 

「私がもっと勉強して、いろいろな文化に触れて、成長していったとしても、その人にはなれないよ。」

 

「私は私なんだよ。私を見て。」

 

 

泣かれるかと思ったけれど、そうはならなかった。

 

 

彼女の涙は静謐で、綺麗だ。

泣き虫だから何度も色々なシーンで見たことがあるけれど、憎しみや恨み辛みまたは怒りの色、響き、激しさや淀みはほとんど含まれない。

身体のなかで濾してしまって、純な悲しみだけが表に出てきているのだろうかと思う。

 

 

僕と付き合うまではまったく本を読まなかったという彼女が、本を読み始めた理由は

・教養を磨きたい

・彼である僕を理解したい

と、加えて

(僕に読めと言われるから)

 

 

こういう理由があった。

こんな風に頑張っている彼女に対して、先の記事を書いて読ませたのは悪いことだったのかもしれないなあと思った。

思った。

思ったのだった。