翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

いつの間にか雑記ブログ((´∀`))

パリの恋人:オードリー・ヘプバーンに恋するわれら

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パリの恋人:オードリー・ヘプバーン

主人公。本屋のアルバイト娘。オードリー・ヘプバーン。

ヘプバーンの輝きを目に漂流させ、私の目の内の明るいところ(暗黒との比率はどの程度のものだろう)に沁み込ませる2時間。

透明でいて、またヒトの体温と同じ38度くらいの温度になって浸水しようとしてくる彼女は、私の黄色の皮膚の中へ。

“どうかヘプバーンと等しくなりますように”

と心で唱えながら、酒と疲れに主導権を奪われた身体を寄せる。

 

彼女(ガールフレンド)と一緒に観た。

彼女(ヘプバーン)は言うまでもなく美しかった。と共感した。

 

初夏の早い朝。鴨川。

生まれたての明るく健やかな空気を、身の回りに漂っているその全部を集めたような爽やかさ。

内からは絶えず微光を放ち、細身の美しい身体は画面のどこにいようとも影に融けることができない。

この神秘的とまでも言えてしまう彼女の美しさは、たとえお芝居は共演のベテランたちより劣るとも、燦然と光の弾けるものとなる。

 

 

そもそも下品な人間が下品なことをすればそれはもっともな醜いこととなり、上品なことをしようとしてもそこには永遠の残酷な乖離が見えるものだ。

一方、そもそも上品な(ヘプバーンのような)人間が下品な振る舞いをしようともそれはそのままの形で見過ごされることはない。

時たま見せる“チャーミングな一面”として映るから不思議だ。

上品なことをすればそれは倍々に彼女の魅力を飛躍させる。夢のように。夢幻に。

そういうものだろう。

 

 

そしてこの作品で見られるヘプバーンは、まさにチャーミングな人。

本屋で働いていることを起点にして、序盤から彼女には哲学の素養があることを見せつけられる。

つまり、彼女は知性を愛し有している役柄であることを強く訴えられる。

だからこそ、その後パリに出掛けた彼女はひと際輝く。

ダンスも、歌も、ぎこちない。

アメリカから憧れのパリにやってきた“おのぼりさん”のときはまるで田舎むすめ。

ところが、それが爽やかにきらめいていて、流麗なスタイルに出来上がっている。

不思議だ。いや、不思議じゃない。

そういうことなのだ。

 

知性のバックボーンは、何ものにも耐え抜き、跳ね返す強大な力を持つ。

その証明がこの映画であり、ヘプバーンの演じたキャラクターの魅力なのだ。

 

 

私の彼女はヘプバーンを目標の女性としている。

(まだまだまだいろいろなおべんきょうがたりないもよう)

であれば私は彼女を空間から切り取り残すかのカメラマン役ポジションでいよう。

 

ヘプバーンは本当に美しく、心の中から、闇が素晴らしい速さで逃げ出してしまった人であるかのように思える。