翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

コーヒーとともに生き始めた人生。興味の膨れるところを、どんどん発信します!!

Forget me not

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夕立ち。静かな湖畔。サーーーーーー。
雨粒が水面を打つ。波紋が広がる。水面を行くアメンボを困らせる。
彼は水中を見たことがあるだろうか。足元のその先に広がる世界を。
 
 
水と水のうち響き合うハーモニーに、私は聞き入っている。
ガラガラ声で、これに混じろうとしたあいつは、さっき小枝で突っついておいた。そして一言助言を。
「ここは君の歌と詞を喜びとする者の世界ではない。歓迎されたければ、よそへ。kita riverという川。あそこはきっと君も気にいるだろう。」
そう話すと、彼はぴょんと行ってしまった。そのうち彼も、サイリウムの光が鬱陶しいあの場所で黄色い声、もといガラガラ声の声援を浴びると思う。
 
 
だんだんと、ウィスキーの酔いが回ってきた。とても心地よい空気。
私は今、テラスにいる。雨に濡れることのないこの場所から、雨に作用されて姿を変えていった世界を眺めている。
私は、能動的に雨と付き合う。その必要のないところで。
雨は、その条件さえ整えば我々の意思とは関係なく降ってくる。
自分たちの世界への介入を拒否することはできない。降るにせよ、降らないにせよ。
 
かつては、雨乞いという習わし、儀式があったが、どれほどの人が本気でやっていたのだろう。
降雨のメカニズムを知った現代人はこれをあっさり否定する。
では、神の存在・非存在証明はいつ完了するのか。神は、”いる”とされたその場所にいてくれた方が何かと都合が良くなっている。
例えば、ビックバン以前。今宇宙と呼ばれている場所には何があったか。
神だ。そこには神がいたのだ。そういうことになっている。
「おお、そうか、神がいたのか。」
誰も否定できないものを持ち込む、ヤクザ並みの暴力。
お嬢さん、神はいるんですぜ?二の腕の刺青がその証明ともなる。
 
雨の話の一方で、現代人こそ知らないこともある。それは、例えばピラミッドの建設手法。
そしてピラミッドの壁に刻まれた、UFOに見える絵。それから、ナスカの地上絵。
ずっと前から、この手の話は研究され、ああだこうだ言われてきた。けれども、いまだによくわからない。
こう考えてみると人間が謎だとか不思議だとか、そんな風に感じる現象、事象の総量は案外変わらないのかもしれない。
技術が開発されていく傍らで、当然時は流れ、過去は埋もれていく。
その埋もれた過去を掘り起こすためにさらなる開発がされていくが、時間は止まらない。
過去を鮮明に記憶する者も、過去を引き継いできた者も、やがて消えゆく。
我々が今日知っている歴史は、これが正しいとされてきた歴史であり、勝者の記録であるのだ。
 
ー歴史ロマンに思いを馳せよー
 
一方で宇宙開発に未来を感じ、一方でエジプトの過去に夢中になる。
いや。宇宙も過去と言えるのかもしれない。とすると、どちらにせよ過去に向かっている??
 
 
私の目の前の湖畔に浮かぶアメンボが、捕食された。
統計的に言えば、全世界からアメンボが数字の1だけ消えたことになるが、さて、そんなことをいったい誰が記録しようか。
彼が生きていたら、もしかしたら、これまでにない大きな貢献もあったかもしれないが、そんなイフはない。
 
命の大切さを思うとき、戦争・災害の悲惨さを訴えるとき、我々はもはや関ヶ原の合戦を引き合いに出すことはない。
この戦争は日本史上で起きた数ある戦争のうちの1つであり、数百年経った今となっては、ロマンを感じる者さえいる。娯楽の対象ともなっている。戦国武将の姿かたちは美化され、崇拝の対象となる。
ところが、これが第二次世界大戦や中東での紛争となるとまるで違ってくる。
ここに歴史ロマンを感じる者はいるのか。仮にいたとしても、あまり口に出さない方が良さそうだ。直接的な悲しみの経験がある事柄と、それがない事柄とでは「戦争」という同じ括りであるにしても、こうも態度が違うものだ。
戦争は悲しい。けれど、人が戦いあうことはなくならない。代理戦争、代理死亡が溢れている。
必要悪というのは、ある。
賛成、反対と議論をするのならこの必要悪をまず了解し合ってからでないと話にならない。
歴史の流れに生きる者なら、大きな流れを見なければ。
と言っても、小さなエゴイズムの動きが集まって歴史になるのだった。
 
 
自己の現実とかけ離れている(あるいはそう思っている)世界に魅力を感じ、興奮するというのは誰にでもあるのかもしれないが、fpsというジャンルのゲームが流行るというのは、これは何を意味するのだろうか。
(fps=first person shooter 武器を手にした主人公視点で、戦場を戦い抜くゲーム)
 
迫る死に怯え、時にはやむなく銃を手にしなければならない、その必要性が日常的にある者がいる一方で、寿命が尽きるまで生き続けられる見通しがあり、衣食住に困らない者がfpsをプレイし、興奮している。
プレイヤーは一人の兵士として戦地に潜り込み、敵を殲滅し、ミッションをクリアすることを娯楽とする。
 
話を戻して、仮に神が存在するのなら、神はこれをどう説明するのだろうか。どう理解させ、納得させるだろうか。死後の世界に夢を見よと、またもや背後世界を説くか。
 
 
目の前のアメンボは、食べられた。
他の生命のエネルギーとなった。それでいい、そうして、循環していく。
この湖畔には、これと同じことが、何万、何億、数え切れないほどに繰り返されている。
私がその歴史を書いたとして、その数を個体別に正確に記録することは不可能だ。
すると、それはただの数でもなくなり、個別の事象でもなくなり、断定的な一般論に終わる。
「湖畔の動物は、他の動物を食べ、また食べられる。」
そうやって、この湖畔という世界は続いてきた。きっと、これからもそう。
人間も同じだが、彼らにはもっと恐ろしいものがある。
例えば、投資。私が投資で勝てば、名前も顔も知らない誰かからお金を奪ったことになる。時には、命さえも。
匿名で行われている現代の戦争なのだ。
 
ーーー
Forgot me not
夕食の、魚料理
Forget me not
私は彼を、すぐに忘れるだろう
Forget me not
彼は、言わなかったから
Forget me not
別れの挨拶