小説を読む。
語りてもしくは登場人物が、
「今日は雨がぱらついている」
と発言する。
すると、読み手ー読者は何を考えるか。
その作品の、そこで描かれている時間では雨が降っているのだ。
こう考えるのが、自然な流れ。
しかし。
もしかしたら、それは偽の描写かもしれない。
その人物や語り手が、今日は雨であって欲しかった。という願望。
または、外で水撒きをしている音を聞いて、雨が降っていると思った。という勘違い。
A「やあ、今日は雨が降っているね。せっかく出掛けるのに鬱陶しいなあ。」
B「何を言っているの。雨なんか降っていないじゃない。傘は置いてきていいのよ。」
A「え?じゃあどうして僕の服はこんなにも濡れているんだ?」
B「きっと乾いていない服をそのまま着ているのよ。」
A「いや、そんなことはない。僕はそんなことをしたことがない。」
B「いや、あるよ。あなた大体いつも乾いてないわよ。」
このとき、雨が降っているのか。降っていないのか。
この後の物語の進展によって、推測されることになるのだろうが、もしこれが平行線のままであったなら。
同じ時間軸、同じ場所を共有しておきながら気候の異なる世界を生きる2人。
どちらが真。どちらが偽。
それを見極める材料は??
2人の会話から読み取れるそれぞれの人物描写か、あるいは周囲の環境の描写によるのか。
A「ほら、あの店を見てよ。
知ってるだろ?あそこは、雨の日にしか営業しないじゃないか」
B「確かに基本的にはそうだけれど。
この前の雨の日は祝日だったし。今日は調子が良いから開いてるだけよ。」
A「なあ、傘差さないと濡れて風邪ひくぞ?」
B「もう雨や傘の話はやめて。
いったいなんでそんなに雨にこだわるの?まったく降っていないのに。」
( ^ω^)・・・
自分でも何を書いているのかよくわからなくなってきたが、つまり小説で提示される環境や人物描写は、確定条件として疑ってはいけないということ。
ここで出した登場人物のAとBも、一見して
A=男 B=女 AとBはそれなりに仲が良さそうまたは付き合っている。
というようにとれそうだが、それもまた何とも言い難い。
しかし一般に小説は、その作品世界の時代設定に応じた”常識”を前提に書かれている。
だから、それぞれの話し言葉から性別もそれなりには読み取ることができる。
そういうお約束がある。
けれど、この雨の場合はどうか。
どちらかが間違っているのではなく、どちらも正しいのかもしれない。
これには、常識もなにもない。
教師「君はバカだ。落第生だ。」
生徒「あんたに言われたくない。
おれから言わせれば、バカはあんただ。」
これを証明するのは??
それまでの背景ももちろん重要だが、それ以上に大切なことは生徒がこれから進む数十年間の人生。
真と偽はある時点で切り取られた現実で証明されるものではなく、もっと長いスパンで捉える必要がある。
としても、今日雨が降っているか。降っていないか。
に関してはどうも説明がつきそうにないのだが。