コーヒーの周辺には、いつだって本があります。
コーヒーと本。
素敵な関係です。
今回は、
「強く生きる」
ということをテーマにして、5冊選びました。
それぞれの本は、読み通し、理解に至るまでにはなかなか苦労しました。
しかし、それだけに人生にかなり大きな力を与えてくれるような力作です。
ぜひ、一度手に取って読んでみてください。
- 1.「自分の中に毒を持て」ーあなたは、”常識人間”を捨てられるか 岡本太郎
- 2.「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ
- 3.「デミアン」 ヘルマン・ヘッセ
- 4.「城」 カフカ
- まとめ 強く生きるための:本4選
1.「自分の中に毒を持て」ーあなたは、”常識人間”を捨てられるか 岡本太郎
青春出版社 岡本太郎
まずエントリーを決めたのは、私の好きな画家の一人であります岡本太郎です。
岡本太郎との出会いは、私が大学2年のとき。
東京国立近代美術館で開催されていた、
「生誕100年 岡本太郎展」2011年
に出掛けたことがきっかけでした。(この日のことはまた後程書きます。)
内容
サブタイトルにもあるように、
いかにして”常識人間”を捨ててそこからの脱却を図るか
ということを考えるのがこの本です。
強く生きるための:文章の引用
つまり自分自身の最大の敵は他人ではなく自分自身というわけだ。
---誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていくほうが楽だから、きびしさを避けて楽なほうの生き方をしようとする。
ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。
安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。
p13より
どっかーーん!と来ましたね。やられました。
はいはい、これは自分のことですよーー、と思いながら、
痛いところを突かれたなー、と感じました。
自分にとっての、ほんとうの人生はどこにあるのか。
これは、大学以後も常に自分に問いかけてきたテーマです。
自分がとる行動の一つ一つ。
根拠はどこにあるのだろう。
こうすれば、誰も文句言わないから。
こうすれば、とりあえずここは丸く治まるから。
出る杭は打たれる??黙っておこうか???
こんな考えを根拠にして、自分の筋を通せなかったことがいくつあったのだろうか。
その選択に、自分の情熱は注がれていたのか。
こう自分に問いかけると、真っ青になるほどに情けない答えが返ってくるのでした。
食えなけりゃ食えなくとも、と覚悟すればいいんだ。それが第一歩だ。
その方が面白い。
みんな、やってみもしないで、最初から引っ込んでしまう。
それでいてオレは食うためにこんなことをしているが、ほんとはもっと別の生き方があったはずだ、と悔いている。
いつまでもそういう迷いを心の底に圧し殺している人がほとんどだ。
p28
確かに危険を感じる。
そっちへ行ったら破滅だぞ、やめろ、と一生懸命、自分の情熱に自分で歯止めをかけてしまう。
p28
こんなことを、こうも実感を伴って発言できる人が他にいますか!?!?
私の知る限り、近い人は
ホリエモン
イケダハヤト
だと思いますが、時代が違いすぎます。
岡本太郎が息をしていた昭和の空気と、今の平成29年の空気は明らかに中身が違いますよね。
やーい戦争だー、バブルだー、
とやっていた時代の、強すぎる同調圧力。
これを身をもって感じた人が、そしてその痛みを十分すぎるほど味わった人の口から
熱を帯びて発せられるこの言葉に勝る言葉はありません。
社会を覆う鬱憤を、一息で晴らす魔法のような熱風。
それが、この文章であります。
まだまだ紹介したい文章は山のようにありますが、今回はここまで。
岡本太郎 自分の中に毒を持て 書評まとめ
周りにいるいろんな人たちに何を言われようが、自分が正しいと思った道を信じ、生き抜くことができたのはなぜか。
それは、岡本太郎には岡本太郎の「哲学」があったからに他なりません。
パリに留学していたとき。
周りの学生は金稼ぎのためにヌードを描いては売っていました。
そんな人たちをよそに、岡本太郎がしていたこと。
それは、人文学の勉強です。
「人間がわからなければ、人間を描くことはできない」と。
しかしこれは、相当バカにされたようです。
「お前は絵描きなのにパリに来て何してんだ」
いえいえ、岡本太郎にとってアホなのは彼らの方でした。
その後、絵描きとして強く生き抜き、名を残したのはどちらだったのか。
言うまでもありません。
この本は、あなたの今を、過去を、そして未来を
どかーーーーん。
と、揺さぶります。
総員、衝撃に備えよッ!!!!!( `ー´)ノ
自分が自分として生きていく。
このことを根本から考えさせてくれます。
2.「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ
集英社文庫 ミラン・クンデラ 千野栄一訳
エントリーナンバー2
チェコ発、大作です。
これも、手に取ったのは大学時代。
早稲田大学の、文学部キャンパス内にある生協にて。
ちょうど、「存在」ということに関して気になっていた頃に目に入ったので即買いでした。
内容
トマーシュ:主人公。女たらし。外科医として優秀。
テレザ:田舎からやってきた。トマーシュの恋人。
サビナ:画家。トマーシュの愛人。
大筋は、この3人を巡る恋愛小説です。
文庫背面の紹介分には、
「甘美にして哀切。究極の恋愛小説」とあります。
この物語の舞台は1960年代後半の、チェコスロバキア。
共産党による民主化vs「プラハの春」による自由化の運動が背景にあり、これが登場人物にことごとく重くのしかかってきます。
そのなかで、これら3人を軸として
「存在のなんたるか」
を解明していく作業なのです。
強く生きるための:文章の引用
われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。
このような想像は恐ろしい。
永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。
これがニーチェが永劫回帰という考えをもっとも重い荷物(das schwerste Gewicht)と呼んだ理由である。
p8
8ページ目でこれです。笑
まだ主人公のトマーシュでさえ出て来てないというのに。
あれ、読む本間違えた?これは哲学の解説書かな??
と一瞬思ってしまいます。
ですが、この導入はこの小説を読み解くにあたってやはり不可欠なものなんです。
これは何なんだろう?を読み解きたい。
と思ったら。
不確実なものを解明することを試みるその作業の出発点は、しっかりとした土壌の上に立たせたい。
と考えるものです。
最初から不安定な土台の上には、安心して住める家は建てられません。
存在が重いって何?軽いって何?
どっちがいいの??
のスタートはここから切られます。
彼にはふたたび自由な独身者の生活、かつて運命によってそう定められ、そこでのみ本当に彼が彼でありうるということが確かであった生活が戻ってきた。
ーーー
存在の甘い軽さを楽しんだのである。
p42
トマーシュはある日突然やってきたテレザと7年間一緒に生活しましたが、ある日また突然に去っていきました。
このことを受けて、トマーシュはどうなったかがこちら。
テレザという人生の「重り」から解放された彼は、何をすることもためらわれない自由を手に入れました。
危険な香りのする方へ向かい、蜜の味を楽しむ。
ああ、この開放感。なんて自由なんだ!と。
しかし、この存在の「軽さ」の至福は長くは続きませんでした。
テレザがいなくなって数日後。
自分という個人の存在の軽すぎるほどの軽さを感じ、疑問を持つ。
そしてその軽さに、「自分の存在の意味=重さ」を与えてくれていたのは何だったのか。
誰だったのか。
彼は、テレザに会いに行きます。
「存在」の重さ軽さが、いかに容易に変化してしまうか。
そしてそれは、どちらの極にしても「失った」ときに取り戻すのがどれほど大変なことか。
考えさせられます。
存在の耐えられない軽さ 書評まとめ
自分の存在が、社会のなかでどのように受け入れらているのか。
自分の存在は、いったい何であるのか。
私は、誰かに必要とされているのか。
もしそうであれば、それはその度合いに応じて逃げられない「重さ」にもなるが
それを自分は受け入れられるのか。
誰しも、考えずにはいられないテーマです。
存在の軽さ。存在の重さ。
自分の存在の、その比重をどのように考えるか。
どの程度が、満足して生きていけるのか。
この答え探しは、自分の生きる理由を見つけてくれるでしょう。
そしてそれが、強く生きる手掛かりとなります。
3.「デミアン」 ヘルマン・ヘッセ
新潮文庫 ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳
エントリーナンバー3 デミアン。
ドイツ発の力作です。
これも、大学時代に出会った本です。
内容
シンクレール:主人公。ラテン語学校に通う10歳の少年
デミアン:学校の友人
シンクレールがいじめにあっているところを、救ってくれたデミアン。
それは同時に、生き方に悩むシンクレールを救うきっかけになった。
これは、デミアン(=救世主?)が「本当の自分」を生きたいと願い悩む一人の少年(=迷えるドイツ青年)を手助けし、その道を説くお話。
現代で言うところの、自己啓発本ですね。
ヘルマン・ヘッセは、それを単に言葉と実体験を並べて書くのではなく
小説の形に昇華して、読者の心の核に
ガツン
と届くように、書いたものと思われます。
強く生きるための:文章の引用
「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。
生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。
鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。」
p152
卵の内部にいれば、安全。
外気から守られ、また親鳥から守られる。
安心安全な世界。
しかし、何かをしようとするのなら。
生まれようとするのなら。
殻を破壊しなければならない。
破壊には、痛みが伴う。
しかし、この痛みを乗り越えたなら。
卵の内部からは到底見ることのできなかった世界が見える。
行ける。
二軒の料理店から、青年たちの型どおりに仕込まれた陽気さがやみの中に響いた。
どっちを見ても、共同生活と、寄り合いと、運命の放棄と、あたたかい衆愚人たちのそばへの逃避とがあった。
ーーー
「あなたの国の日本でも同じようなもんでしょう。
衆愚人の群れのあとを追わないものは、どこに行ってもまれです。
ここにもいくらかいますが。」
p198
頭を、アゴの下から、
ガツンッ
と、突き上げられたかのような。
そんなにも大きな衝撃。
こんな言葉を、物語のなかに淡々と封じ込め、表現するとは。
当然のことであるが、ヘルマン・ヘッセは私なんかより、何万キロをも先のにある、あるいは上にある道を歩いている。
そしてそこから見渡した展望から、こうしたことを語っている。
淡々と。
だからね、およしなさい君。 と。言われた気がした。
デミアン 書評まとめ
人は誰だって、孤独だから。
そしてそれに耐えられないから、寄り集まる。
しかしその理由が、単に孤独への恐怖によるものでしかなければ。
それはつまり、
「逃げる試みであり、大衆の理想への退却であり、順応であり、
自己の内心に対する不安であった」
p191
と、いうことになるのだと。
これはきっと、数多くの人に実感を伴って響いてくる文章であろうと思います。
生きることに悩んでいたころ。
努めて孤独に、一人で何でもやってみようと思っていたころ。
なんでもかんでも、「みんなで一緒に」というものに嫌気が指していたが、かといって何にも拠り所のない孤独感・不安に負けそうになっていたころ。
私は、これを受けて救われた思いがしました。
強く。生きる。
デミアンは、これを求める人にとって最高の指南書になります。
4.「城」 カフカ
城 新潮文庫 フランツ・カフカ 前田敬作訳
ラストを飾るのは、フランツ・カフカです。
今回の本の中では一番ページ数が多い。
これは、大学時代に安部公房にハマった時期に合わせて読んでいたものです。
・・・
これは、というよりすべて大学時代ですね。
大学時代に、これらの本によって自分の生き方の核が作られました。
内容
K:測量師
Kは,ある「城」から仕事を依頼されたのだが、どうしてもその「城」に辿り着けない。
話の概要はこれだけです。
紹介がなんとも楽な作品!笑
しかし中身はというと。。。_(:3」∠)_
こんな一言では済ませません。
強く生きるための:文章の引用
「私は、測量師です」
本全般から
「あなたは誰なの?」
「私は、測量師です」
これが、繰り返されます。
お城から仕事で呼ばれた、測量師だからここにいるのです。
じゃあ、測量師じゃなければ?
ここにいる理由はありません。
さらに、主人公はKという名前を持つものの、
「測量師さん」
としか呼ばれない。
つまり、測量師としてしか存在しない。
Kは測量師であって、そうじゃなければそこには存在してはいけない人間であるということ。
ふう~~~~
やられました!!
たとえば、会社の役員であるAという男がいます。
ある日部下にこう打診されました。
部下「この企画、どうしてもやりたいんです!
押印してくださったら、あとは僕らでやりますんで!
お願いします!!」
A「私は何もやらなくていいのかい」
部下「ええ!僕たちに任せてください!!」
なるほど、彼にとって必要なものはAが認めたという印鑑だけであって、Aが積み上げてきたノウハウではないのだ。
その時、Aの存在意義は「役員である」というこのことのみに集約されるのですね。
城 書評まとめ
かつて、私は自己紹介をするときに
早稲田に通っています。
ということを強く主張していたように思います。
それは、その肩書にこそ、職業にこそ社会的に強い意味が込められていたからです。
しかし、その肩書に寄せられる信用を元手にして何かをしようとしたところで、何ともうまくいかないものです。
そんなとき、このカフカの「城」を呼んで、
あ~あ~。これはまずいなあ。
と、自分の考え方、生き方を改めたのです。
カフカについては、どうぞこちらもお読みください。('ω')
まとめ 強く生きるための:本4選
自分の生き方に迷いが出たとき。
なんだろう、このどうしようもない不安感は!と思ったとき。
自分の本当の生き方、生きる道は何なんだろう、と考えたとき。
これら4冊を読んでみてください。
きっと、あなたの力になってくれます。
即効性があるのは、
岡本太郎 自分の中に毒を持て
デミアン
ですので、まずはこちらを読んでみるのもアリです。
ぜひご参考ください!
本に興味のある方は、こちらもどうぞ。