翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

コーヒーとともに生き始めた人生。興味の膨れるところを、どんどん発信します!!

翠凜堂(suirindou)コーヒーサロン:映画[イントゥザワイルド into the wild]を観て自然について考えた

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日本の寺で、そしてドイツで、イタリアで。
世界中のどこかで。
鐘の音が街に響くとき。
ひと波の衝撃が広がっていく。
その音はーー暗く湿った世界の住人、ネズミの耳にも等しく届いている。
 

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【ストーリー】
1990年夏、大学を優秀な成績で卒業したクリストファー・マッカンドレスは、ハーバードのロースクールへの進学も決まり、将来を有望視された22歳の若者だった。ところがある日、周囲に何も告げることなく全てを捨て、彼は姿をくらました。これがクリスの“真実を探す”壮大な旅の始まりだった。最終目的地は、アラスカ。
 
 
世界で、動物と人間が共存しているが、われわれが共有しているものはなにか。
それは、人間が「奪われた」と感じる以外のものでしかない。
それは天候(晴れ、雨、曇り、雪、雷)くらいのものだ。
それら以外に、いったいなにを分かち合っていると言えるだろうか。
 
 
動物が、「人間の土地」とされている場所へ現れると、それはたちまち処分の対象となる。
食べ物が、土地が、命が、動物に奪われる恐怖心のために。
 
 
人間が、クマに「襲われた」なんてことはただの人間のエゴに過ぎない。
クマが人間に襲われた、なんて表現をするだろうか、いやそんな表現はない。
 
 
私は、肉を食べないというわけではない。
また、動物愛護を推進しているというわけでもない。
ただ、人間のエゴが行き過ぎている。こうしたことを強く感じる。
弱肉強食は自然の摂理だが、動物に対する人間優位の思想が強すぎるのはどうも気持ち悪い。
 
 
 
ここでたとえ話を交えてみる。
ある女がある日、登山に出掛けた。
その山で、急にクマに出くわしてしまった。
 
「きゃーっ!!」
 
という叫び声を聞き、驚いたクマは右腕を振り下ろし、彼女の左腕を切り裂いた。
 
「痛い。痛い。誰か!このクマは人を襲うわよ!誰か!処分して~」
 
 
これは私からすれば、何もしようがない。
論理的な破綻はなにも起きていないし、私にすることがあるとすれば彼女を病院に運ぶことだけだ。
ただそれだけだ。
 
 
クマを、人間の住む土地から森や山の限られた世界へ追いやったのはわれわれ人間である。
その森へ、山へわざわざ出掛けて行って、興奮したクマに攻撃されてしまった。
という。
 
ここに何も不思議なことなどない。ひとつも、ない。
しかし、この話を受けた社会はどうするか。
このクマを駆除する行動をとるだろう。
 
「ハンターよ集え!!人食いクマが出た!!駆除せよっ!!
 
 
これ、変だとは思わないのだろうか。
そんな彼女の、
「私は自然が好きで~、癒されますよね~~。あっ登山にもよく行くんですよ~」
なんて言葉ほどユニークなものはないですよ。(^ω^)
 
 
 
「死ぬ覚悟のない奴が、他人に銃を向けるな」
なんてどこかで聞いたことがありますが、それはまさしくその通りで。
自然の掟を理解していないようなひとが、自然に入っていくなと。
 
 
自然は、弱肉強食ですよ。
生身の人間とクマが出くわして、仮にクマが腹を空かせていたらのなら、人間を喰うのは当然。
また、自分の生命が脅かされれば急な攻撃をしたり、相手の出方を伺うためにジョブを入れたりする。これも当然。
クマは、死ぬ覚悟でこちらと向き合う。
 
 
強い者が、弱いものを喰う。
人間も動物であるということを忘れてはならない。
腹をすかせたクマには、目の前に現れた動物を喰う理由がある。
生き延びるために、食べる。
まったく、何の不思議もない。
 
 
地球上のすべてを、人間の支配下に置き、人間の思い通りにする。
動物に
「いいかい、人間だけは食べちゃいけないんだよ」
なんて教え説くことはできやしない。
 
 
それがしたかったら、動物と人間の世界共通言語を作って、話し合いの機会を作るべきだ。
無理だ。
 
だから、自称自然愛好家は山に入っても、森に入っても、ギャーギャーうるさいだけなので都会で大人しくしていただきたい。
 
と、思ったのでした(^ω^)
 
・・・これ、別にイントゥザワイルドを観て考えるようなことじゃないけれど、ふと考えたので書き残しておきます。