翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

コーヒーとともに生き始めた人生。興味の膨れるところを、どんどん発信します!!

放浪していたあのころの話をします。:心の浮遊と身体の一致

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放浪していたあのころ・・・

今も放浪しているようなものなのですが。

 

私は大学時代に、夜の中を2度放浪した。

1度目は千葉県の九十九里浜を。

2度目は東京都の浅草を。

 

その当時の心の動きについて、最近なんとなく気になったので振り返ってみた。

 

その時、いったい何を感じていたのか。

心はともかく、身体もなんだかおかしかったような。

 

実体はないけれど、心が暗いもやの中を浮遊しているんだろうなということは感じていた。

 

しかしそれが何故なのか、何なのかは全く分かり得なかったから、心が今そこにいる場所に肉体としての自分も行ってみたらいい。

 

たぶんそう思った。

 

いや、こんなことはきっと後付け。

今振り返ってみると何となくそう思えるような気がするだけ。

 

最初のこの「心身浮遊実験」は

”九十九里浜横断実験”

として行われた。

 

実験とはしかし名ばかりで、仮定も、そこから求めたい結果もない。

検証の余地がない。

だから、当時はただの思い付きを実行したに過ぎなかった。

 

                                   

1.千葉県 九十九里浜横断実験

2012年 1月2日 大学2年の冬

東京で昼までアルバイトをして、九十九里浜に向かった。

夕方ごろに到着した。

 

地図はスマホのアプリのみ。

電車から降りると、真っ先に海へ向かった。

 

      

 

徐々に陽が落ちていくなか、私は海へと歩いた。

海岸まで来た時、海の彼方水平線に見えた夕日は、美しさの盛りを迎えていた。

何も考えることができずに、しばらくぼうっと見ていた。

 

私は沈む夕日を背にして、この浜を横断するべく北へと歩いた。

 

                   

すぐに日が落ちた。真っ暗な冬の夜。あたりはしんとした。

 

その静けさの中で、海辺の草陰はしょっちゅうガサガサと音を立てていた。

何がいたのかはわからない。

もしかしたら、何もいなかったのかもしれない。

 

食料といえば、ペットボトルの水1本とカロリーメイト1箱のみだった。

裕福な身体では暗闇の中の心と同化できないような気がしたから、敢えて少なくした。

 

 

周りに何も見えない暗闇のなかにいると、光に敏感になる。

クルマのヘッドライトが遠くから見えただけでも、ピクッと身体が反応してしまう。

どうやら暗い影の世界に馴染んできたようだった。

 

 

私はずんずん歩いた。

歩き始めて10分くらいからは、もはや地図を見なくなっていた。

感覚だけで歩いた。向こうが北だ。

自分が北だと思う方へ、足を向けた。

 

 

途中で道が行き止まりになった時には、海の方への道を選んだ。

右側、つまり東側の方へ。

海岸線に沿って歩けば、方向を見失わずにすむはずだった。

しかし、その道には不自然な砂丘のようなものや草陰があり、私の歩行は何度も遮られた。

歩きにくい道のりだった。

 

 

2時間くらい歩いてから、休憩をとった。

ちょうどいい砂浜に腰掛けて、持ってきたカロリーメイトを食べていた。

海を見ていた。

月明かりが、海面をほの暗く照らしていた。

すると、車の音。こちらに近づいてくる。

 

 

どうやらカップルが遊びに来たようだった。

ヒップホップの音楽をガンガン鳴らしてやってきた。

 

私はすぐに移動した。

せっかくのこの内省の実験に、邪魔が入ってしまった。

しばらくの間、その騒音が頭から離れなかった。

切り取るのにはだいぶ苦労した。

 

                        

いま自分がどの辺りまで来たのかに関してはぜんぜん気にしなくなっていた。

最初から、九十九里浜を縦断することには意味がないのだ。

 

 

周囲を走る車の数は少なくなり、また民家も同様に減ってきた。

町からどんどん遠ざかっていく。

 

いよいよここから夜が更けてくるぞ。

暗闇の深部への入り口へ差し掛かるのだ。

 

 

と、思ったその時。

私の存在に対して大反発が起きた。

野犬が数匹。

近くで、大きく吠えた。

するとそれに呼応するようにして、また向こうから獣の声が聞こえてきた。

 

 

これはまずい。

私の、動物としての勘がそう教えてきた。

 向こうには牙があるが、私には何もない。

手元にあるのはリュックサックとスマホ、それからペットボトル。

何かあった時に、戦える訳がなかった。

 

 

私は逃げた。

彼らから敵意を向けられていることは確実だった。

吠えた声の感じと、こちらを射るように見る野生の眼。

 どこへ逃げたら良いのか。

わからないまま、夢中に逃げた。

気が付くと、明かりの灯る民家近くまで来ていた。

 

 

これからどうしようか。

このまま、また北上を続けるのか。

それとも、道を引き返して駅まで行くのか。

大きな悩みを抱えた。

 

 

しばらく考えていた。

その結果。

私は民家を連ねる車道に沿って、駅があると思われる方へ歩き出した。

私は負けた。

野犬に屈したのだった・・・。

 

そして駅に着き、自宅への終電に間に合うことを知った私は

ほっとした。

溜め込んだ疲れくらい野犬に喰わせれば良かった。

 

2.東京都 浅草浮遊実験

これはいつだったか。

たぶん、九十九里浜と同じ時期

九十九里浜の後

 

この日は、新宿で仲間との飲み会があった。

いい感じに酔いが回った私は、茨城までの帰り道の経由駅である上野から浅草へ向かった。

なぜか。

訳もなく放浪するために、だ。

 

 

バイオリンのケースを片手に、夜の浅草に降り立った。

何をしようとしているのか。

特に、何もない。

何もしないために、浅草にやってきた。

 

とりあえず、浅草寺に行ってみた。

明かりは点いているものの、人は少ない。

 

お賽銭を投げて、両手を合わせる。

ただそれだけ。無心で。やってみた。

 

さて、どこに行こうか。

行く当てもなければ、もう終電もなくなった。

初めてやってきた浅草。

何をしようか。

 

 

ぶらぶらと、彷徨い歩く。

前回の九十九里浜と違うのは、それなりに人がいるとうこと。

野犬への恐怖はまったく感じなかった。

 

 

シャッターが閉まった店の前

軒下で毛布にくるまって寝ている人たち。

そういう人たちを横目に、歩く。歩く。

 

 

花屋敷が見えた。

そしてその周辺はなんだかまだまだ騒がしい。

ネットカフェやマクドナルド、牛丼屋が集まっている。

マックに行くか。

 

 

私はマクドナルドで、腹ごしらえをした。

ここも前回と大きく異なる点。

私の腹はマックのもごもごハンバーガーで量的に満たされてしまった。

それにしても嫌な空気だ。

深夜のマックは、他に行く当てのない人々の溜まり場となっている。

机に顔を突っ伏して寝ている人たちを、迷惑そうに見る店員。

やれやれ。

私は店を出た。

 

 

ここがいけなかった。

店を出た瞬間、パトロール中の警察官と目が合った。

私は、自分が不審者だという自覚があった。

そして手には大きなバイオリンケースを持っていた。

なんか、まずいな。

私は逃げ込んだ。

24時間営業のインターネットカフェへ。

 

 

結局、ここで夜を過ごし朝を迎えた。

朝の浅草寺の様子を見に行ってやろうと、冷やかしの気持ちで行くと

そこには、深夜とはまったく異なる新鮮な空気と清潔さがあった。

 

驚いた。

夜の表情とこんなにも違うものだとは。

 

その発見と共に電車に乗り、帰路に着いた。

 

放浪 浮遊の結果

結局のところ、この2回の放浪は完全に遂行されることなく終わってしまった。

2回とも、自分よりも生物的に強い者に追い出されてしまったのだ。

 

 九十九里浜では、野犬に

浅草では、警察に

 

野犬と警察

私を宵闇から追い出したという点において、

野犬=警察

(^ω^)

 

 

もしかしたら、どこかからの警告だったのかもしれない。

これ以上、深入りするな という。

 

自分の身体も、心がいま置かれているであろう浮遊しているであろう場所に近づきたいと考え、その宵闇の世界へと足を踏み入れようとしたところ

どちらも途中で跳ね返されてしまった。

敵わぬ強制力によって。

 

 

なぜ、こんなくだらないことを今でも覚えているのだろう

と不思議に思う。

と同時に、これはかなりくだらないことだが、今同じことを本気でやれるかというと、できない。

 

これは気持ちの問題で、当時の私にしかこの行動は起こせなかったように思う。

そういう意味では、彼は立派だった。

 

何の意味もないことを、効率主義のもとに一蹴せずに挑戦したのだ。

 

心の浮遊はいまも続いている・・・?