翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

コーヒーとともに生き始めた人生。興味の膨れるところを、どんどん発信します!!

夢:メタ認知 茂木健一郎とカフカ

 夢のメタ認知

 

昨日ハッと気が付いた

夢は、メタ認知したら終わってしまう

そうなのだ

 

 

メタ認知とは

 

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これが夢であってくれたら

こんな夢のようなこと

この夢よ、終わらないでくれ

 

というように、いま自分のいる世界がリアルではなくフィクションであることを少しでも嗅ぎつけてしまったなら

 

それがその夢の終わりの始まりである

 

 
夢の中の世界は急速にしぼみ、私はバチンと目を覚ます

なんだ、夢だったか

 
しかし、時たまにこのメタ認知を操ることができる
夢の中にいるということを意識しながらも、なおもその世界を自在に動き回れている自分がいる。
 

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ぼんやりうっとり

秋のひんやりとした心地の良い風を受けながら、昼のまどろみのなかをぼんやりうっとり過ごしていた

 

ゆらりゆらりと幻想のなかを歩いている感じが妙に心地よかった

 

 

こんなときは大抵、ありもしない妄想をしているものであるが、だいぶ長いことこうしているうちに眠気が訪れると、、急に起こってくることがある

いつの間にか夢や妄想と現実の境目が蜃気楼のようにもやもやしたものとなり、さらにその先には見通しのきかない暗がりのトンネルが続く

 
 
自分はそのトンネルを進むわけだが、もうそこからは妄想のなかではコントロールが可能であった不可能の自由がなくなってしまう
 
*1
 
 
つまり、自分が描いた妄想のその続きとなる物語が、まるで現実のような鮮明さでもって現れてくるのだ
現実ではいくら自分が願っても、鳥のように飛べたりはしない
 
妄想のなかではあるのだが、そこに現実における真理(時はさかのぼらない)が存在するというところに”私は実際にこれを体験している、”生きている”という実感が生まれてくる。
 
 
そこで構築され進行する物語には現実ですでに知っているものが当然多く出現するが、その組み合わせは数知れず、予想不可能なバランスで現れることがほとんどである。
これはどれも真理に反するものでない限りにおいて、”絶対にあり得ない組み合わせ”というものはない。
 
その組み合わせの例として、
・自分がイタリアで暮らしている
・コーヒー栽培をしにアフリカに行っている
 そしてそのコーヒー栽培を、大学時代の友人と共同して行っている
 

そんなことはあり得ない

という壁を見事に破壊し、境界を 取り払ってくれる夢。

常識に縛られて生きている。ことを気付かずに生きていた私を、解放してくれた夢の解釈。

 

 

夢についてこう考えるようになったのは、茂木健一郎氏の影響が強い。

そして、こうした夢を見る時、また見た時

かのフランツ・カフカも、こんなふうに夢想しながら、物語を構想していたのかなあと思うわけです。

 

 

*1:

*どこかへワープしたり、空を飛んだりするような現実で絶対に起こりえないこと
起こりうる可能性がゼロであるもの。