翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

コーヒーとともに生き始めた人生。興味の膨れるところを、どんどん発信します!!

我漂うゆえに我なし 思わなくば我なし

我漂うゆえに我なし 思わなくば我なし 

f:id:touzou:20171008114016j:plainデカルト

 

 

デカルトの主張

かつて、デカルトは自著である方法序説において

「我思うゆえに我あり」

と説いた。

 

あらゆる存在は疑うことができる。

毎日一緒に過ごす家族だって恋人だって、どうしても疑ってしまう。

デカルトは考えた。

この世のすべては疑わしいものなのか。

 

ところが、彼はある真理に到達する。

あれこれと日々考えるが、そう考えている私=自己の存在だけは疑いようがないということに。

いま自分が生き、この場所で思考しているこのことだけはどうしても事実として受け入れるほかないのだ。

こちらがデカルトの言葉の概要である。

 

 

私の主張

さて、ここで私が説きたいのは、

 

「我漂うゆえに我無し」

 

あらゆる存在は疑うことができる。

毎日一緒に過ごす家族だって恋人だって、どうしても疑ってしまう。

私は考えた。

この世のすべては疑わしいものなのか。

 

 

と、ここで私は感じた。

いま、デカルトの偉大なる命題が通用しない時代に来ている。

自分でものを考えない人の、なんと多いことか。

自分という個人を持たない人たちの群れ。

それがいまの人間であり、とりわけ日本人なのではないか。

 

 

食べログで良いと評価されればとりあえずそこに行く。

自分の舌と勘を評価せずに他人の口コミを当てにしているだけなのだ。

勘とは、ヤマ勘ではない。勘とは知力だ。かの小林秀雄が残した言葉にもある。

 

 

インターネットに出回る無数の情報商材。

これをすれば儲かる!

そうしたものにすぐ飛びつく。

もちろん、成果がでなくてもそれは自己責任。

だから販売者はウハウハ。(^ω^)

自分の頭で考えることをしないモノを食い物にする。

そして食い物にされていることにすら気が付かない。

 

 

インスタ映えという謎の言葉。インスタバエ?ハエ?

その写真を撮っている自分が、他人に迷惑をかけているという事実にも気が付かず。

ひとの評価に右往左往。

何が欲しくて生きているのだ。

 

 

漂うひと

こういうひとが、世間を漂っている。

自己を持たない人間。

ゆらゆらと波間を漂うさまは、踊っているかのようにも見える。

それは、変な踊り。

彼らの好む音楽やファッションに似ているのか。

 

 

ロボのほうが遥かに賢く、有能である。

彼らもモノを考えないが、人の指示に背かない。

そしてちゃんと利用できたならばとても便利だ。

 

 

やがてやってくるであろう人工知能を完璧に備えたロボの台頭。

彼らは生き残れるのだろうか。

本当に疑わしきは、こうしたひとたちが何であるか、ということだ。