翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

コーヒーとともに生き始めた人生。興味の膨れるところを、どんどん発信します!!

自画像:死ぬまでに描いておきたい

かつての画家の中に、自画像を残した者はたくさんいた。

 

 

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「都市の印象派」と呼ばれたカイユボット(Caillebotte)

 

彼は近代都市パリの風景を描いて、パリに流れ始めた新しい空気感をそのキャンバスに捉えた。

そんな彼も、自画像を描き残した画家の一人である。

 

と、いう話の流れから、ここからカイユボットの話には移らない。

恐縮であるが、彼の自画像を見て私が感じたことの話である。

 

自分が自画像を描くとしたら、いったい私はいつ、どこで、なにを着て、なにを手にし、なにと一緒に、なにを思っている様子を描くのだろうか。

 

私がプロの画家であるとする。

したがって、その目の色や口元の様子に変化をつけることで感情を明らかにすることが可能である。

しかし、可能であるからといって表現するとは限らない。

自分という存在にプラスして描くその他のものについても同じである。

たとえば、リンゴを登場させてエデンのシナリオを織り交ぜても良いが、ただリンゴを描くだけでも良い。

何の含みもなしの、ただのリンゴである。

何が正しい、何がいけない、というものはないはずである。

 

ただ、誤解を与えやすいことは事実であろうから、その辺りの整理はつけなければいけないのだが。 自分が描くとして。

 

もしかしたら、瞳を書かないで完成とさせるかもしれない。

なぜなら、目は口ほどに物を言うというから。 絵画のなかで、口は物を言わない。

 

目。その存在が絵画の伝えるメッセージを集約し、鑑賞者へと放つ。

だから、私は瞳を書かない。

瞳をくり抜いた、童とする。

なぜなら、それが私自身であるからだ。

 

瞳を付け足すのは、私が童を卒業した時だ。

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