翠凜堂[suirindou]コーヒーサロン

コーヒーとともに生き始めた人生。興味の膨れるところを、どんどん発信します!!

惰眠:yume強制発生装置

夢を、わざと、強制的に見る

 

まあ、これはいつまでも寝ていたい甘えに対する言い訳にしかとれなくもないが、しかし、目をつむって眠りにつくという行為を繰り返すと、二度寝、三度寝と繰り返していくと、浅くなった眠りの中から、夢の世界が姿を現す。

有意識と無意識のちょうど狭間のようなところで綿菓子に乗っかっているような、妙にふわふわした感覚の上に、夢を見るのだ。

あらゆる記憶の糸が撚り合わせられて構成された超現実な夢を。

 

 

茂木先生がおっしゃられているように、夢とは、当人の意識を超えたレベルでの創造的なパズルである。

自分の脳内には、多種多様なブロック(日常で見聞したもの、考え、感じたもの)が無数にあるが、それらは普段の意識下においては常識のレベルで組み立てられ、世間をまともに渡り歩くための必然的な作りをなす。

 

自分はaという企業に勤めていて、上司にはyさんがいて、というように脳内に知識として集約されている一つ一つが、我々の共通の社会を生きる必須要素としてプログラミングされ、機能している。

しかし、夢世界ではこの常識というフィルターは穴ぼこだらけであって、現実からファンタジーまで何もかもが起こりうる可能性を無限に秘めている。

だから、現実においては‘あり得ない’ことが起こる。

さらに、この夢世界に登場する人、物、場所は、これまでに自分が感知したいっさいの物事から選択される。

そして、それらすべてが同じ時系列に引き合わせられ、並べられ、存在するのだ。

 

 

東京の大学に通っていたころの自分と、同じ大学で出会った女の子が、茨城の田舎の畦道を自転車で走っている。

二人乗りで、学ランとセーラー服を着て。高校生のようだ。

とても自然で、楽しそうな様子である。

これが夢であると、メタ認知するまでは。

 

つまり、いっさいの‘あり得ない’から解放されている夢の世界では、あらゆる記憶のブロックが関係を結ぶ可能性を持つのである。

なぜ、この二人がここにいるのか、どうしてこんなものがここにあるのか、夢の世界を体感している間は、こうした疑問すら入り込む余地はなく、ただただ当事者としてそこを生きるのみなのだ。

だから、それが夢であったと認識し、思い返すことができるのは目をさましてからのこととなる。

ハッとして意識を呼び起こし、自分が実在する感覚を確かめる。

こうして、彼はまた超現実な世界を体感してきたわけであるが、この時こそ最も注意が払われるべき時であるのだ。

常識を遥かに超えた、創造的な夢の世界を体感した自己をしっかりと認識し、記録しておくこと。

 

これが、自分が現実の世界でクリエイティブなことを手掛けようとするときの強力な助けとなるであろうから。

 

ええ、以上が、私が惰眠をむさぼるための長い言い訳であります。